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活動報告

第2回研修会『先人の生き方に学ぶ-上杉鷹山-』

5月14日午後6時より、東商ビル502会議室にて、第2回研修会が行われ、38名が参加しました。
最初に吉川会長より、「『為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』と上杉鷹山の言葉にありますが、ともすると私たちはできない事の言い訳をしてしまいがちです。まず、できることから探していく。そのヒントを今回のお話から学んで頂きたい」との挨拶がなされ、講師の日本政策研究センターの岡田幹彦氏のお話が始まりました。

上杉鷹山は、今から40数年前、アメリカのケネディ大統領が日本人の記者団と懇談した際、尊敬する日本人として、その名前を挙げたことから、一躍注目されることになりました。彼は、10歳で上杉家の養子となり、17歳で再建不可能と言われた日本一の貧乏藩の藩主となります。そして、最初に行ったことは、諸事大倹約でした。例として、一汁一菜の食事、木綿の着物の着用、奥女中50人を9人に減らすなどでした。こうした政策も大切なことですが、指導者として優れていたのは、何としても人民を救済せんとする基本的な姿勢、燃えるような深い愛情と責任感が、みなぎっていたことでした。

こうして、米沢藩再建への苦難の道が始まります。着手早々に江戸藩邸の焼失、老臣たちの反逆、そして大飢饉と次々に財政を圧迫する出来事が生じた約20年間は、まさに大苦難期でした。しかし、農業の再建や諸産業の振興など地道な努力で、それを乗り越え、藩主となって30年後に再建が成功するまでに至りました。

そこから具体的に、どのようなことが奇跡的な再建につながったのかとお話が続きました。それは、鷹山の無私献身の姿勢が立派であったことはもちろん、経済の立直しの根本は、人心の立直し、教化にあると察し、指導にあたったこと。さらに、急いで成功しようと思うのではなく、50余年間のたゆまざる努力と忍耐があったことが挙げられました。

また、鷹山がどのような人間愛と人格を備えていたのかを、部下である藩士や薄幸の妻、側室とのエピソードをお話し下さり、深く知ることができました。そして、鷹山の師、細井平洲とのかかわりは、人の心のつながりはかくあるべきと教えて頂いたと思います。最後に何人かの方から質問があり、丁寧に応答して下さり、会場は和やかな雰囲気に包まれ、終了しました。参加された方々のお顔から、鷹山の生き方に感動を覚え、何かしらのヒントをつかまれたように見受けられました。

(記:近藤 洋子、写真:石野 康子)