「福島原子力発電所見学を終え我々の使用電気の発生地を知り、改めて地元の方々に感謝の心」
昨年の新潟県柏崎市に続き平成18年10月6日7日に首都圏エネルギー懇談会主催の女性経営者ミーティングが福島県で行われました。
当日は台風16号17号が関東から北にかけて直撃し、バスの窓を打つ激しい雨の中の出発となりました。朝8時予定通り東商ビル前を出発。長傘を携え、不安げな面持ちで車窓に目を向けていた会員も、途中トイレ休憩をはさみ予定通り、宿泊先でもある「Jヴィレッジ」に着いた時にはほっとした様子でした。
昼食後、福島第二原子力発電所を見学。その後、場所を富岡町の「学びの森」へ移し、交流ミーティングの第一部としてタレントの峰竜太氏を講師に迎え「思いやり」「心に残る人」のお話を伺いました。一人は義父の林家三平さん。家族が人の悪口をはじめると席を外し、誰に対しても感謝の心を持ちいつも笑顔を絶さず、客人を家族総出で出迎え、見送る心配り。もう一人は石原裕次郎さん。撮影現場を訪れた時は社員、スタッフ全員に声を掛け、その時々の近況に沿った労いや励ましの言葉をかけ光を当てていく太陽のような人。石原プロはそんな社長が大好きで、社長の役に立ちたくて人が集まって出来た会社と話されました。
多くの企業の中で常に社員全員の近況や体調を把握し、一人一人に応じた言葉をかける事が出来る社長は少数社員の会社でも数少ないのではないかと心に残りました。愛社精神のある社員が少なくなったと言われている昨今、その精神をつくるのは社長の心であることに気付かされました。
そして結婚31年目の奥様は峰さんがお仕事がなさりやすいように常に心を配っていらっしゃり、「今心からいとおしく思います。大好きです」と結ばれた峰さんから幸せのおすそ分けを頂いたような気が致しました。
その後のグループミーティングは東商女性会会員が約10名、福島新潟の会員と合わせて約20名を1グループとして3ヶ所に分かれて行われました。
福島の会員から、もしこの地に原発が無かったら我々の町は砂漠状態だったかも知れない。大きな経済効果にはとても感謝しているが、100%安全という事はないので、常に危険と背中合わせと考えると複雑な気持ちですとの発言がありました。
原子力発電所の立地条件として敷地下に活断層がない、頑丈な岩盤の台地で周辺に住居等の建物がない台地で、タービンをまわした後の蒸気を冷やす為に大量の海水を汲み上げ、又、放出する為に海のそばである事等が必要であるとの事でした。
福島の第一、第二発電所には約9000名の方が働いており、企業から送られた従業員以外の東電の従業員約1700名は地元からの採用との事です。
ディスカッションの最後に新潟の会員の方より「でも、ここで生産される電気は私達は使えないのよね。この辺りは夜になると真暗で…。でも東京に行った時、夜でも光々と明りが付いていて、街中が明るくて、ネオンがいっぱい…。あ、この電気は私達のところで作っているんだわって思ったわ」と仰った言葉が印象的でした。
翌日、懇親会会場および宿泊先であった「Jビレッジ」を出発し、見学先である福島第一原子力発電所へ向いました。ゲート前で事前に提出された見学者名簿と各自の身分証明書の提示による本人確認があり、海外旅行の際のパスポート提示の検問のような緊張感がありました。すさまじい暴風雨の中、バス乗降口より発電所の入り口迄のわずかな距離を主催者の方々が、自らは全身背広が身体に張りつく程、ずぶ濡れになりながら傘でアーチを作って下さり、我々はほとんど濡れずに中に入る事が出来ました。館内では前回の柏崎と同様、金属探知機を通過し、許可証をかざしてカプセル状の出入口を通過しましたが、中で靴を履きかえたり、身分証を提示する等、より厳重なチェックがありました。これは2001年の9.11米国同時多発テロ以降関係諸機関との連携のもと特別保安対策を実施しており、又、柏崎市の発電所との違いは柏崎市の発電所は見学者を想定して作られた発電所であり福島発電所はそれ以前に作られ見学者の事を想定していなかった為との事です。
福島第一原子力発電所は大熊町、双葉町にまたがり、約350m2の敷地に沸騰水型の原子炉があり、三基の30年近く、又は30年を越えるユニットもあり、綿密な定期点検を受けながら電気を生産しています。
前日見学した福島第二発電所は富岡、楢葉両町にまたがり150万m2の敷地の中に設置されており累計6159億kwhの電力が発電されています。
地球の石油・ガス等の限りある天然資源は今世紀半ば迄しかもたないと言われています。資源の乏しい日本が安定した電力を得る為には、カナダ・オーストラリアなど政情が安定した国から輸入が出来、少量で大規模な発電を行え、使用済み燃料を再利用(97%)出来、環境問題を引きおこす二酸化炭素(Co2)や硫酸化物(SOX)を出さないウラン燃料による発電が必要です。
原子炉は被履管から放射能物質が流出するのを防ぐ為、厚い鋼鉄製(約16cm)の容器で出来ており中には円柱形に焼き固められたウラン燃料が特殊金属管に詰められ密封されており更にこの容器は厚さ3cmの格納容器に納められ一番外側は厚さ1.5mのコンクリートの壁、格納容器から放射性物質の流出を防いでいます。
又地元住民の理解を得、交流をはかる一環として、福島第二原子力発電所の構内にはハーブ園や太陽光発電や風力発電で作動する噴水等がありますが、残念ながら天候不良でそれを目にすることは出来ませんでした。その他蒸気を冷やし、自然海水より7℃程暖まった海水を(温排水と呼ぶ)ヒラメやアワビ等の養殖に利用していると伺いました。
福島第一原子力発電所の見学後は「陶芸の杜おおぼり」で絵付け体験を楽しみ、後日送られて来た自作の湯呑みで、毎日お茶を飲んでいます。
歌に出てくる「塩屋崎」ではめずらしい波の花を見る事ができました。地元でもめずらしい事だそうで地元の方々も一緒に並んで見ていました。天候不良で「木戸川鮭簗場」見学を中止した為に予定より早く帰る事ができました。
帰宅しおみやげにい頂いたサッシを袋から出すとハーブ園のラベンダーの香りが寝室に広がります。私達が眠っている間も電気は送られ続け、消費され続けます。
「福島、新潟の皆様今日も一日電気をありがとう。おやすみなさい。」
(記・瀬良衣香)