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活動報告

東京商工会議所女性会創立60周年記念事業
シンポジウム

日時:平成21年11月14日(土)10:30~12:30
場所:グランドプリンスホテル新高輪「飛天」

 午前9時半。開場となるとヴァイオリニスト白井崇陽氏によるエントランスコンサートが始まりました。上に高く広がる空間がやわらかなヴァイオリンの調べで満たされてこれから始まるシンポジウムへの期待感も高まります。

 受付で渡された着席エリアを示すリボンを胸に入場。午前10時半。ピアノ伴奏五味こずえ氏、テノール歌手勝又晃氏による「君が代」独唱でシンポジウムは開会しました。会場に緊張の糸がピンと張り詰めます。

 司会の古谷治子理事の紹介によって吉川稲美東商女性会会長が登壇し、「本日はようこそ東京商工会議所女性会60周年記念シンポジウムへお越しくださいました。私ども東商女性会は60年前、戦後の焼け野原の中で少人数の有志の女性経営者によって立ち上げられました。会場の皆さんの中にはこれからの日本の経済を担ってくださる方がいるかもしれませんし、女性経営者となる方もいらっしゃるかもしれません。今日は一昨年、新潟で被災された親子の皆さんも参加されています。講師にお招きした皆さんは人に見えないところでも大変な努力を重ね、素晴らしい実績を残された方々です。夢の実現には一つ一つの積み重ねが大事です。ぜひ今日のシンポジウムでのお話を参考にして頂き、ご家庭でもお父様、お母様と一緒に夢について話し合っていただけたらと思います。」と主催者挨拶を述べました。

 再び勝又晃氏が登場、「トゥーランドット」の独唱によって、2006年トリノオリンピック女子フィギュアスケート金メダリストである荒川静香さんが舞台に姿をあらわしました。

荒川静香氏講演:「ささえ」のちから

 この「トゥーランドット」はトリノオリンピックのフリープログラムで使用した思い出深い曲です。4年経った今でも聞く度に感動します。
 私は毎年冬になると家族でスキーに出かけていました。5才の時に自宅から車で15分のところにあるスケートリンクへ行こうということになり、同じくらいの年頃の女の子がヒラヒラしたコスチュームを着ていたのにあこがれて「私もやってみたい」と思ってフィギュアスケートを始めました。
 私はウェアなど見た目からひかれるタイプで、着るものに対しては子どもの頃から興味を持っていました。今でもスケートの衣装は自分でデザインしています。

 3才で水泳を、5才でスケートを始め、2年ほど平行していましたが、その後選手コースに進む時に水着よりもコスチュームの方がかわいらしかったので、競技としてのスケートのことなどよくわからないままにフィギュアスケートを選びました。 最初に自分が目指したのは1998年の長野オリンピックです。フィギュアスケートがオリンピックの種目であるということがわかってから、オリンピックに出たいとずっと思い続けていました。長野オリンピックでは満足した結果は残せませんでしたが、2004年の世界選手権に優勝することができました。そこで、最高の演技ができたということで自分の気持ちの上では一度引退していたのだと思います。
 しかし、自分の心の中に満足した演技をして引退したいという思いもあり、自分の気持ちがどこにあるのかわからない状態を過ごしていたとき、周囲の勧めもあって、2005年、もう一度オリンピックを目指そうと決意しました。
 オリンピックは出場するだけが素晴らしいことではありません。一日一日の積み重ねの先に出場があると思い始めてからスケートと向き合うことが出来ました。
 自分一人の気持ちではトリノに行けなかったでしょう。周りの人に支えられて立つことができ、幸せな気持ちで本番を迎えることができました。フィギュアスケートは一人でする競技ですが、トリノオリンピックの金メダルはみんなでとった金メダルです。

 そして、2006年にアマチュアからプロへと転向し、新しい世界へと飛び込みました。今の私の主な活動のひとつに「フレンズ・オン・アイス」があります。
 今、映像が流れていますが、〔舞台上方スクリーンに、幻想的な照明の中、子どもたちと手を取り合ってリンクに立つトップスケーターらの姿が映し出される。〕色々な人に世界のスケーターを見て欲しい、スケーターとしてリンクの上に立つ幸せをみんなに教えたいと考えたとき、リンクの上でアイスショーを開いてしまえばいいと思って始めました。
 子ども達が実際にトップスケーターと滑ったり、見てもらうことによって成長し、また、気軽に楽しむ感覚でスケートに親しんでいただけたらと思っています。

パネリストによるディスカッション 第一部

続いて荒川静香氏に加え、ソウルオリンピック柔道金メダリスト斉藤仁氏、車いすバスケットボール選手京谷和幸氏にご登壇いただき、パネルディスカッションが行われました。

――始めたきっかけを教えてください。

斉藤 青森出身なので、周りでは体の大きい人にとっては相撲がメジャーでした。でも私はまわしが恥ずかしかったのです。そんなとき、アニメの柔道一直線を見て柔道は小さな人でも大きな人を投げられる、それも遠くに飛ばすことができるところに感動し、柔道を始めました。中学時代は相撲と柔道をやってましたが、勝負に勝てたのは相撲の方が多かったように思います。

京谷 私は野球が大好きでした。でも2年生のときに野球チームに申し込みに行ったら、3年生からしかできなかったので野球はあきらめました。次の日にサッカーチームの方にお会いして、それだけ足が速いのだからサッカーをやってみないか、といわれて少年団にはいったのがきっかけです。ジェフ市原でサッカー選手として活躍していましたが事故にあってしまい、サッカーをすることができなくなってしまいました。そんなとき妻が役所の方から車イスバスケットの情報をもらってきました。スポーツは何かしらやりたかったので、車イスバスケットを始めました。

――夢はかなえられましたか?

荒川 夢のきっかけがおおきなヒントになりました。どこにころがっているかわからないところがおもしろいのです。本人がやりたいと思うことをひろげていくことが夢をかなえることの一歩となります。何か一生懸命になれるものがあって、もしかしたらそれが夢になるかもしれない。夢がかなえられそうになったら次の夢をみます。夢は見続けるものです。

斉藤 夢には実現できる夢と憧れの夢があります。私の場合5mも6mも相手を投げ飛ばすことが憧れの夢ですね。そして実現できる夢とは目標になります。夢をかなえるにはどういう形で興味をもったのか、実現に向けてどう進んでいくのかひとつずつ進んでいきます。小さな目標から大きな目標へと自分のレベルに応じて進むことも大切です。ひとつずつクリアして自力をつけていったら金メダルをとっていました。

京谷 夢は持った瞬間に目標や目的に変わります。そこに到達するためにイメージをもってひとつずつ積み重ねていくのです。でも一歩も踏み出せないこともあります。私も失敗が怖いですが、失敗をすればしただけの価値はあり、乗り越えていくものなのです。だから一歩を踏み出すことが大事なのです

荒川 夢はかなうと思って設定するわけではありませんが、夢がなければ近づきもしません。きっかけはお父さん、お母さんが与えてくれました。

斉藤 一歩前に出ることは大事ですが、なかなか出られるものではありません。その姿を見て、お父さん、お母さんにちょっと背中を押して欲しいのです。あれをしちゃいけない、これをしちゃいけないと言われるとやってみたくなるもの。失敗したときの感覚を教えてあげてください。

京谷 自分が行動を起こしたときにちょっと周りを見て、親や仲間や恩師に支えてもらっていると、今の段階で子ども達にそれに気付けというのは難しいですが、みんなで支えているぞということを伝えたいと思います。

――会場からの質問です。「やめたいと思ったことはありますか?」

荒川 スケートよりも放課後に友達と遊びたいと思ったこともありましたが、うまくいかないままに終わるのがイヤだったから続けられました。

斉藤 中学1年生の時は基本練習に励みました。そして2年生になるときに顧問の先生が定年で柔道部がなくなってしまい、1ヶ月出来ない状態が続いたことがあります。そのとき、自分にとって柔道はどういうものであるか考えた結果、柔道を知らない先生に顧問になってもらって再編成をすることになりました。柔道をやめたいと思ったことはありません。

京谷 サッカーをやめたいと思ったことはありません。でも車イスバスケットをやめたいと思ったことはあります。なぜなら未知の世界だし、すべてのことを腕だけでやらなければなりません。最終的には家族のために愛する妻のためにやろうと思いました。

――最後に夢をかなえるためのメッセージをお願いします。

荒川 みなさんにはたくさんの可能性が眠っています。一歩を踏み出すことが大切です。親としては失敗しないように見守るのではなく、失敗した後の姿をほめてあげてください。苦しいことを頑張っていけば何かしらの役に立ちます。無駄な時間はありません。

斉藤 子ども達は日本の宝です。いろんなことに思い切ってトライしてください。継続することで夢はかないます。そして親御さんは片目をつぶって見守ってください。

京谷 夢をあきらめてほしくありません。親は子どもたちの夢を後押ししてあげてください。夢を子どもたちと一緒に持って欲しいと思います。そして親たちも自身の夢を持ち、自分の背中で子ども達に夢を語って行って欲しいと思います。

 この後、退席される荒川静香氏へ市瀬優子常任理事から花束が贈呈されました。

パネルディスカッション 第二部

斉藤仁氏と京谷和幸氏による テーマ 「育てる」

斉藤 私は、ロサンゼルス、ソウルオリンピックと2大会連続して金メダルを獲得しました。また、全日本の監督を通算8年+8年いたしました。現役時代は、多くの人々の支えがあり、強くなりました。武道は、礼に始まり礼に終わります。私は、柔道を通じて、社会に貢献して行きたいと考えています。人に感謝し、人と共に生き、自分の手でオリンピック選手を育てたいと思います。今まで教えた子ども達に色々な修行をさせてもらいました。感謝しております。

京谷 現役のサッカー選手時代は、我が強く、エゴイストだったと思います。ある時、岡田武史監督による指導の中で、「今現在だけに満足せず、今より先の夢を持つべきではないのか」という言葉が私の心に響きました。それまでは、プロサッカー選手になっただけの満足で、それ以上の夢を持たなかったのです。言葉の持つ力は大きいと思います。ですから、子どもに対しては、感情的に怒らず、叱るということを心がけるのが大切であると思います。子どもを教育する為には、まず自分を教育し磨くことが大切です。人との出会いが自分を育てるのです。

斉藤 (親について)
私の父は、頑固もんで、ジョッパリが服を着たような人でした。黒といえば黒、白といえば白でした。親父のイメージはゲンコツ。父のゲンコツは父の愛情そのものでした。人を育てるのは愛情です。現在、私の奥さんからは、段々お父さんに似てきたといわれておりますが、自分の子どもに対しては、なかなか難しいものがありますね。

京谷 (母について)
私の母は、どんな状況でも明るく笑っていました。経済状況について、母を楽にしてあげたいと思っていました。母親の愛情は無償の愛です。どんな逆境にあってもくじけないものです。

◎父母の方々へ「子どもたちへメッセージをどのように伝えるか」

斉藤 全日本監督コーチの経験から、

  • 子ども達の心に響く言葉を投げかけること。子どもの心はナイーブであり、どんなことでも受け入れる。私は、今、自身の子どもに投げかけることの難しさを実感しています。
  • 子どもが何を言わんとしているのかを察知して、必要な言葉を投げかけることが大切です。

京谷

  • 多くを語らず、自分の生き様を見せることが大切です。子どもと共に生長していくことです。自らを成長させることにより、子どもの成長と共に歩むのです。
  • 一家の大黒柱、リーダーとして頑張るのです。笑顔でね。笑顔はプラスの気、プラスはプラスを呼ぶのです。

辻井いつ子氏 基調講演

 今朝は息子から、来日中の米国オバマ大統領に負けないような講演をして来てねというメールが入りました。
 私は、結婚するまでは、人生辛いことに遭遇しませんでした。しかし、子どもの誕生で大きな試練を味わいました。マイナスからの子育てだったのです。母親と子どもにとって大切なアイコンタクトができなかったのです。コミュニケーションをとることができるのは、母の声でした。よく歌を歌いました。両親ともピアノは弾かないのですが、ある日、息子におもちゃのピアノを買いました。すると、息子が、おもちゃのピアノで、ジングルベルを弾いたのです。私は、息子がピアノを演奏するのを見て、この子が好きなものが一つあれば、ハンディを背負って生きて行く上で助けになると思いました。母が歌を歌い、息子がピアノを弾くのです。

 息子が5歳のときのことです。サイパンに家族旅行をしました。滞在したホテルで、ピアノの自動演奏が行なわれていましたが、それを解除してもらいました。そこで、リチャード・クレーダーマン作曲の「渚のアデリーヌ」を弾いたのです。人前でピアノを弾き、初めて賞賛され、外国人がハグをして喜んでくれるという体験をしました。息子が好きなことが見つかりましたので、私は後押しをしようと思いました。

 ピアノは、恩師にも恵まれ、とても順調でした。しかし、外の生活面では、社会の雑音が苦手でした。その後、小学1年生の時に、盲学生音楽コンクールで優勝しました。小学5年生の時には、ビティナ・ピアノコンペティションに参加し、D級で金賞を受賞しました。私は、子どもが一生懸命やったことを誉めてあげることが大切だと思います。そして、演奏の前には「いつも通り弾けばいいわよ」という言葉掛をしました。頑張っている人に「頑張ってね」とは言えないからです。

 「人との出会い」についてお話いたします。
テレビ朝日「題名のない音楽会」の司会者・指揮者でいらっしゃる佐渡裕氏との出会いについてです。息子の演奏テープを聴いて下さいました。さらに、中学1年の冬、芸術劇場の楽屋で、佐渡氏が息子のピアノ演奏をお聴きになり、号泣なさったのです。その後、パリで、佐渡裕指揮のラムルー管弦楽団と共演をさせて頂きました。人との素晴らしい出会い感謝しております。私は、ハンディキャップを背負った息子に、神様が贈り物を下さったのだと思っております。ヴァン・クライバーンコンクールでは、伸び伸びと演奏できました。1位は2名、2位は1名でした。トロフィー授与の時、息子が初めて涙を流しました。子どもの可能性は無限大です。あきらめず、信じてきたことが、このような結果につながりました。子どもの可能性をつぶさず、あとからそっと押すようなスタンスでいて欲しいと思います。今日1日を何とかやり過ごそうと生きて参りました。長いスパンで考えられなかったのです。私達は子どもの前進を阻んではなりません。行き詰まったら、私のマイナスからの子育てを思い出して頂いて、あのように子どもの可能性を信じて生きて行った人がいることを思い出して欲しいと思います。短時間ではございましたが、元気が出た、と感じて頂ければ、とても嬉しいです。

【閉会の辞】 井上副会長

 皆様、お疲れ様でございました。
 講師の方々に、自分の夢を持つことの大切さ、命の大切さ、家族の大切さについて、メッセージの中でそれぞれに語って頂きました。皆様のご家族で、色々な思いを語って頂きたいと思います。
 東京商工会議所女性会創立60周年記念のイベントを終了させて頂きます。皆様、誠に有難うございました。

(記:中西志保美、椿克美)

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