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関東商工会議所女性会連合会、東京商工会議所女性会共催
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テーマ 「私の取材ノート 〜『その時歴史は動いた』の現場から〜」
小泉関商女性連会長の「『その時歴史が動いた』は大好きな番組で学ぶことが多く、いつも必ず観ています。」というごあいさつの後、いよいよ講演会の始まりです。 多くの拍手に迎えられ登場した松平氏は、さすがに話すプロだけあって、穏やかでよく響く声で、『その時歴史が動いた』という長寿番組がなぜ視聴者にこれだけ支持され、高いクオリティを維持できるのかという話をはじめられました。 それによると、松平氏と番組関係者の中では、4つのポリシーを大事にしているそうです。
この中で4番目についての話を、歴史上の二人の女性、篤姫とお市の方を例に挙げて話してくださいました。
時代に翻弄された女性:篤姫現在大河ドラマにて放映中の篤姫の人生はまさに波乱万丈でした。薩摩藩・島津斉彬の養女であった篤姫は、養父の思惑に従って第13代将軍・家定の御台所(正室)となり、家定没後は、天璋院篤姫(てんしょういん あつひめ)と名乗り、後に将軍の代わりとなって、倒幕軍に江戸城を明け渡し、徳川時代に幕を下ろします。 従来、江戸城無血開城の功労者は勝海舟と西郷隆盛で、二人の男性の功績と言われてきましたが、実は、篤姫が西郷隆盛に手紙を書き、和宮も政府軍に江戸には入らぬようと何度も手紙を書いたためで、この歴史的快挙は、本当は4人の合作であったという話が、「歴史の陰に女あり」を感じさせました。この2人の女性の活躍の事実は、片や2年前島津家の古文書の中から、片や政府軍の子孫邸から相次いで、それらの手紙が見つかったことから判明したのです。 養父(薩摩藩)の政治的策謀のため好まぬところに嫁がされ、その後は、実家から戦いを挑まれるという波乱の人生を歩んだ篤姫は、江戸城を出たあとは、旧薩摩藩島津家からの資金援助の申し出も「志まで政治の道具にされたくない」と断り、質素につましく暮らしたと言うことです。 美しさのために翻弄された女性:お市の方政略結婚の末、実家から婚家を攻められたという2例目は、織田信長の妹であった、歴史上の美女、お市の方の話です。 このように歴史とは、無機的な暗記物では決してなく、一人の人生を巡る人間模様であり、人間ドラマであることを、一人でも多くの皆さんに知っていただくために今後も番組を続けていきたいと言う言葉で、松平氏は講演を締めくくられました。
(記事:林 香都恵) |
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